Oginoya History
温もりと革新の140年
第3話
重たい「土釜」を選んだ理由
益子焼との運命の出会い
「峠の釜めし」のシンボルといえば、あめ色のつややかな益子焼の土釜である 持ってみるとずっしりと重いこの容器 なぜ、持ち運びが重要な駅弁に、あえて重たい陶器を選んだのだろうか?
開発当時、4代目社長・高見澤みねじはお客様の要望である「温かいお弁当」を実現するため試行錯誤を繰り返していた
そんなある日の夕暮れ時、栃木県の益子焼の窯元「つかもと」の行商人が荻野屋を訪れた そこに一人用の土釜があった 彼は荻野屋を訪れる前に、他の弁当店にも売り込みに行っていたが、「重すぎる」「駅弁には不向きだ」とことごとく断られていた
「私が探していたのはこれだ!」
その土釜を見た瞬間、みねじは直感した
土釜には優れた保温性がある そして何より、土の手触りには、プラスチックや木の折箱にはない「温もり」があった
「釜と日本人は切っても切れない間柄 この釜でご飯を炊けば、旅人に家庭の食卓のような安らぎを感じていただける」
周囲からは「重くてお客様の荷物になる」「割れる危険がある」と反対の声も上がった しかし、みねじは迷うことなく、その場にあった在庫7,000個をすべて買い取る決断をした 社運を賭けた一大決心だった
結果として、この土釜こそが「峠の釜めし」の代名詞となり、食べた後も家庭でご飯を炊いたり(1合炊きにぴったりである)、植木鉢にしたりと、旅の思い出として長く愛されることになった 重さの中に込められているのは、作り手の「真心」という重みでもある
重さの中に込められた「真心」という重み
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荻野屋